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脳内お花畑な小西洋之 世界が憲法9条を導入で戦争根絶!? おまえは床に落ちたカボチャの天ぷらでも喰ってろ!

小西洋之カボチャの天ぷら

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「世界中が憲法9条を導入すれば戦争根絶」—小西洋之議員の"お花畑思想"に唖然

立憲民主党の小西洋之参院議員が12月30日、自身のXで驚くべき投稿を行った。

「世界の国々が憲法9条を導入すれば人類は未来永劫に戦争を根絶できる」というのだ。

グテーレス国連事務総長の新年メッセージを引用する形で、小西氏は「9条で国民と国益を守れることは戦後日本の歴史が立証している」と主張。

さらに「世界の恒久平和のための政治戦略に取り組み、憲法前文の日本国国会議員への命令を果たしたい」と意気込みを語った。

この投稿には「台湾に中国が軍事侵攻しようとしてますよ」「どうやって世界の国に憲法9条を導入させますか?」「特に中国、北朝鮮、ロシアはどう説得しますか?」といった当然の疑問が多数寄せられている。

現職の国会議員が、ここまで現実と乖離した"お花畑思想"を堂々と語ることに、多くの国民が呆れている。

憲法9条だけで日本は守られてきたのか?—歴史の真実

小西氏は「9条で国民と国益を守れることは戦後日本の歴史が立証している」と述べているが、これは歴史に対する重大な認識違いだ。

戦後日本の平和を実際に支えてきたのは、憲法9条という「紙切れ」ではなく、日米安全保障条約という現実的な軍事同盟である。

冷戦期、ソ連という巨大な軍事大国と国境を接していた日本が侵略されなかったのは、アメリカの「核の傘」と在日米軍という抑止力があったからに他ならない。

もし本当に憲法9条に平和を維持する力があるなら、なぜ日本は莫大なコストをかけて日米安保を維持し続けてきたのか。

なぜ自衛隊という世界有数の軍事組織を保有し続けているのか。小西氏はこの矛盾にどう答えるのだろう。

確かに、9条の存在によって防衛費の抑制が可能となり、その分を経済発展や社会保障に投入できた側面はある。

しかしそれは「9条が平和を守った」のではなく、「日米安保という盾があったからこそ、防衛費を抑えることができた」というのが正確な理解だろう。

中国・ロシア・北朝鮮に「憲法9条を導入しろ」と言えるのか

小西氏の主張で最も滑稽なのは、「世界の国々が憲法9条を導入すれば」という前提条件である。具体的にどうやって実現するつもりなのか。

台湾海峡では中国が軍事的圧力を日々強めている。ウクライナではロシアが他国に侵攻し、民間人を含む数十万人の犠牲者を出している。北朝鮮は核・ミサイル開発を続け、日本に向けて繰り返し弾道ミサイルを発射している。

これらの国々に対して、小西氏は「憲法9条を導入してください」と頭を下げて頼むつもりなのだろうか。

それとも、国連決議でも出して強制するつもりなのか。

憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。小西氏が引用するこの一節こそが、現在の国際情勢においてどれほど空虚なものかを物語っている。

軍拡を続ける中国、核で恫喝する北朝鮮、他国に侵攻したロシア—これらの国々が果たして「平和を愛する諸国民」と呼べるのか。

「公正と信義」に信頼できる相手なのか。答えは明白だろう。

理想を語るだけなら誰でもできる—政治家の責任とは

理想を持つことは悪いことではない。世界から戦争がなくなることを願わない人間などいない。

しかし、政治家に求められるのは「理想を語ること」ではなく「現実に対処すること」だ。目の前に迫る脅威から国民の生命と財産を守るために、具体的にどうするかを考え、実行することが政治家の仕事である。

小西氏のように「世界中が9条を導入すれば平和になる」という空想を語るだけなら、小学生でもできる。

それどころか、現実を無視した理想論を振りかざし、真剣に安全保障政策に取り組む人々を「亡国の安保政策」と批判する姿勢は、無責任を通り越して有害ですらある。

ある反響の声が的確に指摘している。「自らだけが正義でありたいがために理想のみを語り、現実に対処する人間を批判するのは卑怯者と人は言うと思う」—まさにその通りだろう。

うどん屋エピソードが示す小西氏の本質

小西氏の本質を象徴する出来事がある。2017年2月11日、彼は自身のXでこんな投稿をしている。

「うどん屋でカボチャの天ぷらを取り損ね、床に落とす。やむなくトレイの隅に載せ、別のカボチャをお皿に載せてレジに。昔のバイト先ではこうした場合はお店の負担だったが、自分の責任だから当然二個分払う意思。レジの定員は全くの無表情のまま淡々と二個分を計上。何か寂しい感じがして少し脱力。。」

自分で落としたカボチャの代金を払うのは当たり前のことだ。それを「やむなくトレイの隅に載せ」「当然二個分払う意思」と、まるで自分が高潔な行為をしたかのように書く。そして店員が「無表情」だったことに「寂しい感じ」「脱力」する。

店員からすれば、自分で落としたものの代金を払うという当然のことをした客に、特別な感情を示す理由などない。

それを「無表情」と批判し、感謝や称賛を期待しているかのような投稿—これこそが小西氏の器の小ささを物語っている。

国民が求めているのは現実的な安全保障政策だ

北朝鮮のミサイルが日本の上空を飛び、中国の軍用機が日本の領空に接近し、ロシアが北方領土で軍事演習を行う—これが2024年現在の現実である。

この現実の中で、国民が政治家に求めているのは「世界中が9条を導入すれば平和になる」という空想ではない。具体的で実効性のある安全保障政策だ。

立憲民主党が政権を担う政党として国民の信頼を得たいのであれば、小西氏のような"お花畑議員"を放置していてはいけない。

現実を直視し、国民の生命と財産を守るための具体策を示すことこそが、野党第一党に求められる責務ではないだろうか。

理想を語るのは自由だが、その理想が現実離れしすぎていれば、それはもはや妄想と呼ぶべきものだ。

小西洋之には、まず現実の国際情勢を直視することから始めてほしい。

まあ、期待するだけ無駄だと感じるが...

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