
もう「いじめ」という言葉で済ませてはいけない。
栃木県や大分市で起きた暴行事件は、学校という密室で行われた犯罪そのものである。
文部科学省が1月14日、全国の教育長を集めた緊急オンライン会議を開いた。栃木県立高校のトイレや大分市立中学校の廊下で撮影された暴行動画がSNSで拡散され、学校がこれらの事件を認知していなかったことが判明したためだ。
望月禎初等中等教育局長は「非常にひどい暴力行為やいじめが発生し、その被害を学校が把握できていなかったという懸念が高まっている」と述べている。
アンケートでは救えない現実
文科省は年度内の実態把握アンケート実施、相談窓口の周知、被害児童生徒へのケアを要請した。しかしこれで問題が解決するとは到底思えない。多くの学校では既にアンケートを実施しているはずだ。それでもなお、暴行は起き続けている。
ヤフコメには、保護者たちの切実な声があふれていた。「学校側が被害を把握していても教育委員会にも警察にも報告を上げず、被害者保護よりも加害者の学ぶ権利を優先してきた事案が山ほどある」という指摘は、まさに核心を突いている。
わたしたち国民が最も懸念しているのは、学校が把握していなかったことではなく、把握していても適切に対応してこなかった現実なのだ。
あるコメントには「既に相談したのにいじめではないと勝手に教師に決めつけられた子はアンケートに書けない」という声もあった。教師への不信感がある状態で、子どもたちが正直にアンケートに答えられるだろうか。答えは明白である。
犯罪は犯罪として扱うべき
転んでいる被害者の頭を思いっきり蹴り上げる動画を見て、胸が締め付けられた。
これを「いじめ」という軽い言葉で片付けていいはずがない。明らかな傷害罪だ。
学校という閉じられた空間では、暴行や恐喝といった犯罪行為が「いじめ」という言葉に置き換えられ、教育的指導の範疇で処理されてきた。その結果、被害者は救済されず、加害者は罰せられることなく、同じような事件が繰り返される。
この悪循環を断ち切るには、一定以上の重大ないじめは犯罪として警察に通報し、法的措置を取るべきだろう。
文科省は令和5年に刑法犯罪に相当する事案は警察相談・通報をという通知を出しているそうだが、現場でどれだけ徹底されているのか。
教育委員会や学校が事なかれ主義で隠蔽しようとする体質を変えない限り、通知だけでは何も変わらない。
SNSによる動画拡散には「デジタルタトゥー」という新たな人権侵害の懸念もある。文科省は3学期中に情報モラル教育を実施するよう要請したが、これも対症療法でしかない。
そもそも学校が適切に対応していれば、被害者がSNSに頼る必要はなかったはずだ。
オールドメディアが報じない真実
テレビや新聞などのオールドメディアは、この問題を「学校の管理体制の甘さ」という切り口で報じることが多い。しかし本質はそこではない。長年にわたる学校と教育委員会の隠蔽体質、被害者よりも組織の保身を優先する姿勢こそが問われるべきなのに、そこまで踏み込んだ報道は少ない。
今回、SNS上の暴露系配信者が動画を拡散したことで事件が明るみに出た。賛否両論あるだろうが、わたしは一定の意義があると考えている。学校に相談しても取り合ってもらえない、教育委員会も動いてくれない。
そんな絶望的な状況に追い込まれた被害者やその家族、あるいは目撃者にとって、SNSは最後の砦だったのではないか。
もちろん、プライバシー保護や名誉毀損の問題は慎重に考える必要がある。しかし現状の学校システムが機能していない以上、こうした手段に訴えざるを得ない状況を生み出している責任は、教育現場にあると言わざるを得ない。
システムとしての対応が急務
教師個人の資質や努力に頼るのではなく、システムとして対応できる仕組みが必要だ。具体的なガイドラインの策定、第三者機関による調査、警察との連携強化など、やるべきことは山積している。
また、学校だけに責任を押し付けるのも酷だろう。家庭教育の問題、地域社会の関わり方、そして加害者への適切な罰則と更生プログラムなど、社会全体で取り組むべき課題である。
文科省の今回の対応は、残念ながら後手に回っている。
年度内の確認、3学期中の教育実施といった時間軸では、いま苦しんでいる子どもたちを救えない。
緊急性を持って、抜本的な制度改革に着手してほしい。
被害を受けた子どもたちのことを思うと、本当に胸が痛む。一刻も早く、すべての子どもたちが安心して学べる環境が整うことを願ってやまない。
そのためには、わたしたち大人が現実から目を背けず、声を上げ続けることが何よりも重要だ。

