
高市総理が進退をかけると言ったその瞬間、日本という国家の命運が天秤にかけられた。
これが身震いするような現実だ。
1月19日の記者会見で高市早苗総理は1月23日に衆議院を解散すると表明し「私自身も内閣総理大臣としての進退をかける」と明言した。
同じ日、中道改革連合の斉藤鉄夫共同代表も「今回の衆院選で目標を達成しなかった場合は共同代表を辞任する」と語った。
マスコミ・メディアは両者の発言を並列して報じているが、この扱いに強い違和感を覚えている。
国のトップと野党の一党首では責任の次元が違う
高市総理が背負っているのは何か。それは1億2000万人の国民の暮らしであり、外交であり、安全保障である。総理の進退は即座に政権の枠組みを変え、予算編成を左右し、国際社会における日本の立ち位置すら揺るがす。
責任ある積極財政への転換、安全保障政策の抜本強化といった国の根幹に関わる政策の実現可能性が、この選挙結果にかかっている。
一方で斉藤代表はどうか。わたしは斉藤氏の人柄や政治姿勢を否定するつもりはない。むしろ長年の政治経験を持つ真摯な政治家だと認識している。しかし彼が背負っているのは中道改革連合という野党の一党の代表職だ。
仮に辞任したとしても、国政が停滞するわけでもなければ、外交方針が変わるわけでもない。党内で新しい代表が選ばれるだけの話である。
この二つを同列に語ることの危うさをメディアは理解しているのだろうか。総理大臣の進退は国家の行方を決める。党の代表の辞任は党内人事の問題だ。重みがまったく違う。
政治と金の批判より先に自らの覚悟を示すべきだった
斉藤代表は高市総理の会見について「政治と金の問題に一切言及がなかったのはおかしい」と批判した。確かに政治と金の問題は重要だ。国民の政治不信を招いた要因であることも事実だろう。
だが待ってほしい。
立憲民主党と公明党が急遽結成した中道改革連合こそ、まさに選挙目当てと批判されている存在ではないか。昨年の参院選では公明党は立憲民主党の消費税ゼロ政策を「ぶれているようにしか見えない」「選挙目当てで国の根幹をなす安保政策をあやふやにする無責任な政党」とまで批判していた。その公明党が今、立憲民主党と手を組んで新党を作っている。
政治と金を批判する前に、自分たちの政策の一貫性や新党結成の理念をもっと丁寧に説明すべきではなかったか。高市総理を批判する資格があるのか、わたしには疑問が残る。
テレビや新聞の多くは「進退をかけるという点で両者は同じ」という論調で報じている。だがこれは表面的な言葉の一致にすぎない。報道する側は、言葉の裏にある責任の重さの違いを読者や視聴者に伝える義務があるはずだ。
国民の生活を左右する予算や外交を担う総理と、野党の一党を率いる代表。天と地ほどの差がある。高市総理の決断は国家への責任を背負った覚悟の表明であり、斉藤代表の発言は党内での責任を示したものだ。
両者を同じ土俵で比べること自体が間違っている。
マスコミ・メディアは本質を伝える責任を果たしているか
わたしたち国民が知りたいのは、誰がどんな政策を掲げ、どんな日本を作ろうとしているかだ。進退をかけるという言葉の表面的な一致ではなく、その言葉の意味するところの違いをきちんと報じてほしい。
高市総理は日本維新の会との連立合意に基づいた政策転換を掲げ、前回の衆院選では公約になかった重要政策の大転換を進めようとしている。だからこそ国民に信を問うのだと説明した。これは筋が通っている。
対する中道改革連合は生活者ファーストを掲げるが、具体的な政策の中身はこれから詰めていくという段階だ。
高市総理自身も会見で「重要なことは看板やキャッチフレーズではなく具体的な政策の中身」と指摘している。まったくそのとおりだとわたしは思う。
偏向報道を繰り返すオールドメディアには、もう期待していない。だが少なくとも事実は正確に伝えてほしい。総理大臣の進退と野党党首の辞任は、重みがまったく違うのだから。
1月27日公示、2月8日投開票の衆院選。
わたしたち国民一人ひとりが、言葉の表面ではなく本質を見極める目を持たなければならない。
進退をかけるという同じ言葉の裏に、どれほどの責任の差があるのか。
それを理解したうえで投票所に足を運びたい。

