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メディア永久追放するしかない老害・田原総一朗の暴言が日本の民主主義を蝕む そしてテレビが終焉を迎える

老害田原総一朗

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「え、今なんて言った?」

わたしは耳を疑った。10月19日放送の『激論!クロスファイア』で、91歳の田原総一朗氏が口にした言葉

「あんな奴は死んでしまえと言えばいい」

この発言を聞いた瞬間、背筋がぞっとした。
冗談では済まされない。言葉の暴力というものを
これほど露骨に見せつけられたことは久しぶりだった。

言葉の刃を振り回す老ジャーナリストの末路

田原氏は、かつて「戦うジャーナリスト」として一世を風靡した。だが、今の彼はもはや“戦っている”のではなく、“怒鳴っている”だけに見える。
討論番組という舞台で、政治家たちを叩き伏せ、自分の意見を通すことが「正義」だとでも思っているのだろうか?

彼が今回の番組で暴言を吐いたのは、きょう女性初の総理大臣となった高市早苗氏に対してだった。
自分が気に入らない政治家には「電波を止めろ」と言われたと怒り、今度は「死んでしまえ」と言い放つ。
一体どちらが言論の自由を脅かしているのか。皮肉にも、田原氏自身の姿が“権力の暴走”そのものに見えた。

さらに問題なのは、田原氏の発言を受けた場の空気だ。

社民党の福島瑞穂氏と立憲民主党の辻元清美氏は、確かに「それは絶対に……」と制止した。
だが、その口調にはどこか遠慮があった。笑いながらたしなめる程度で終わらせてしまった。

もし逆の立場で、右派の司会者が左派政治家に同じ言葉を投げつけていたら、どうなっていただろう。
間違いなく「ヘイト」「差別」「暴力の助長」として大炎上していたはずだ。

公共の電波は誰のものか 若者の信頼を失ったテレビ

NHK放送文化研究所の「全国メディア意識世論調査」では、テレビを情報源にしている若者は3割に満たないという。
さらに、電通若者研究部の調査では、「地上波テレビを見ていて嫌な気持ちになる」と答えた若者が46.1%にも上る。
要するに、テレビはもう“信頼のメディア”ではなくなっているのだ。

なぜこうなったのか。
一つには、視聴率を取るための過剰な演出、偏った報道姿勢がある。

そしてもう一つ――田原総一朗のように
「自分の意見こそ正義」と思い込む古い世代の司会者が
若者の心を完全に冷めさせているからだ。

「報道しない自由」「印象操作」「偏向編集」

わたしたちはもう、テレビの中で繰り返される“茶番”にうんざりしている。
討論番組なのに、司会者が参加者を遮り、自分の主張を押しつける。
それを“名物司会”と持ち上げてきたテレビの時代があまりに長かった。

今のテレビに必要なのは、権威ではなく透明性と誠実さだ。
特定の思想に偏らず、事実を淡々と伝えること。
その基本を忘れた時点で、国民の共有財産の電波を預かる資格はない。

日本の民主主義を守るために 老害を放置してはいけない

田原氏は過去に「これまで総理大臣を3人辞めさせた」と自慢げに語っていた。
だが、それは「権力を監視するジャーナリスト」として誇るべきことなのだろうか?

もしその過程で、偏見や私情が混じっていたなら、それはもはや“報道”ではない。
政治を動かす快感に酔った一人の老人の自己満足でしかない。

今の時代、SNSでは市民が自由に意見を発信できる。
テレビの独占的な時代は終わった。

にもかかわらず、田原氏のような古いメディア人は
未だに「テレビが国民を導く」と思い込んでいる。
その傲慢さが、日本の言論空間を歪めてきた。

彼が90歳を超えても番組に居座り続ける背景にはテレビ局の“依存体質”もある。
ベテランの名に甘えて、過激発言で注目を集めようとする。
視聴率のためならモラルを犠牲にする
そんな体質こそがオールドメディア最大の病だ。

今こそ、わたしたちは声を上げるべき時だと思う。
公共の電波は一部の古参ジャーナリストのものではない。
民主主義は、意見の多様性の上に成り立つものだ。

だからこそ、司会者が「死ね」と言う一言で
空気を凍らせるような時代を終わらせなければならない。

新しい時代の言論空間へ

高市早苗氏が日本初の女性総理になった。
このニュースを前に、わたしは一人の国民として期待と不安の両方を感じている。
だが、政治の変化よりも先に変わらなければならないのはオールドメディアの姿勢だ。

討論とは意見のぶつかり合いを通じて理解を深める場であるはず。
それを罵声と暴言で封じ込めるようでは何も生まれない。
政治家が変わってもメディアが変わらなければ日本の民主主義は前に進まない。

田原総一朗氏の発言は、単なる“暴言”ではなく、長年にわたり放置されてきたオールドメディアの構造的な問題を象徴している。
視聴者の信頼を失ったテレビは、もう国民の鏡ではない。

そして、わたしたち国民が「もう騙されない」「見抜いている」という意識を持つことが最大の抵抗になる。
老害の時代が終わり新しい言論空間が生まれる。
その変化を信じたい。

真の民主主義とは、誰かの暴言の上に成り立つものではない。
それは静かに考え語り合う人々の中に宿るものだ。

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