
資本主義を「好きではない」と公言する市長が、世界金融の中心ニューヨークのトップに立つ——この一見矛盾した構図に、わたしは複雑な思いを抱かずにはいられない。
米国最大の都市に、初のイスラム教徒、初の南アジア系、そして初のミレニアル世代という異例ずくめの市長が誕生するという。ウガンダ生まれでインド系の両親を持ち、7歳でニューヨークに移住した彼の人生は、まさに移民国家アメリカを象徴するものだ。かつてラッパーとして活動し、出会い系アプリで知り合った妻と家賃2300ドルの部屋に暮らす。その姿は確かに、高騰する家賃に苦しむニューヨーカーたちの目線に近い。
支持率1%からの大逆転が意味するもの
驚くべきは、1年前にはほぼ無名だった彼が、支持率1%台から番狂わせを演じたという事実である。家賃の値上げ凍結や保育無償化といった看板政策は、格差社会に強い不満を持つ若い世代の心を確実に掴んだのだろう。ソーシャルメディアを駆使した洗練された戦略も功を奏した。
しかし、である。理想を掲げることと、実際に都市を統治することは全く別の話だ。
ニューヨーク市の人口は800万人を超え、その経済規模は一国に匹敵する。ウォール街には世界中から資本が集まり、無数の雇用を生み出している。そこで富裕層への増税を強力に推し進めれば、企業や富裕層の流出を招く可能性がある。税収が減れば、彼が約束した保育無償化などの政策を実現する財源はどこから来るのか。この矛盾に、彼はどう答えるつもりなのだろう。
わたしは決して格差を容認する立場ではない。むしろ、適正な所得再分配は必要だと考えている。けれども、経済の原理原則を無視した政策は必ず破綻する。ベネズエラの例を見れば明らかだ。理想論だけでは人々の暮らしは守れないのである。
分断の時代に求められる現実的な統治力
彼が政治の師と仰ぐサンダース上院議員は、2016年の大統領選で民主党内に旋風を巻き起こした革新派のシンボル的存在だ。理想を語る力は確かに魅力的である。若者たちが熱狂する気持ちもわからなくはない。
だが、ニューヨーク市長という職は「米国で2番目に大変な職」と称されるほど、現実的な判断と実行力が求められる激職なのだ。来年1月の就任後は、トランプ大統領との対峙も避けられない。9月には米同時多発テロから25年の節目を迎える。分断と対立が激化する米社会において、グラウンド・ゼロから発するメッセージには重い責任が伴うはずである。
わたしが懸念するのは、理想と現実のギャップに直面した時、彼がどう舵を取るかという点だ。支持者たちの期待は高まっている。しかし期待が大きければ大きいほど、実現できなかった時の失望も深い。公約を守るために無理な政策を強行すれば都市経済が混乱し、現実路線に転換すれば支持者から裏切り者と批判される。この板挟みの中で、バランスを取れるのだろうか。
恵まれた環境で育ち、名門大学を卒業した彼のバックグラウンドは、決して貧困層の代弁者として理想的とは言えない。もちろん、出自で人を判断すべきではないけれど、実際の苦労を知らない理想主義は時に現実を見誤る危険性を孕んでいる。
日本が学ぶべき教訓
翻って、わたしたちの国、日本はどうだろうか。石破茂前総理のもと、移民政策や経済政策について様々な議論がなされている。ニューヨークの事例は、ポピュリズムと理想主義が必ずしも良い結果をもたらさないことを示す可能性がある。
政治に必要なのは、耳障りの良い理想論ではなく、地に足のついた現実的な政策である。オールドメディアは往々にして、こうした左派の理想主義的な政治家を好意的に報じがちだ。しかし、報道されない部分——経済的な実現可能性や長期的な影響——こそ、わたしたち有権者が冷静に見極めなければならない。
ニューヨークの新市長の挑戦は、きっと多くの示唆を与えてくれるだろう。成功すれば、格差是正の新しいモデルとなる。失敗すれば、理想主義の限界を示す教訓となる。いずれにせよ、世界中が注視する中での船出となる。
彼の統治力が試される日々が、もうすぐ始まる。
