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テロリストをさん付けする記者に呆れる 小野田紀美外国人共生担当相の毅然とした姿勢を支持したい

小野田紀美外国人共生担当相

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テロリストを「さん付け」で呼ぶ記者がいるなんて、信じられない光景だった。

小野田紀美外国人共生担当相の記者会見で、フリーの記者が安倍晋三元首相を殺害した被告を「さん付け」で呼び、質問を続けた。

わたしはこのニュースを読み映像を見て強い怒りを感じた。

テロリズムという卑劣な犯罪を前にして

加害者に敬称をつけるなどあってはならないことだ。

マスコミ記者の質問は常識を欠いている

その記者の質問内容も、ひどいものだった。「安倍氏が統一教会を野放しにした」「家庭が経済的に破綻したのは自民党政権が野放しにした責任はないのか」と、まるでテロ行為を正当化するかのような発言である。

どんな理由があろうとも、人を殺していい理由にはならない。これは誰もが知っている当たり前の話だ。仮に旧統一教会の問題があったとしても、それは法的な手段で解決すべき問題である。銃で人を殺すという選択をした時点で、それはテロリズムなのだ。

しかも、この記者は被害者である安倾元首相を責める質問をしている。銃撃されて命を奪われた方に対して、「野放しにした」と批判するとは、どういう神経をしているのだろうか。わたしには理解できない。

小野田大臣に対して、所管外の質問を執拗に繰り返すことも問題だ。外国人共生担当相として会見に臨んでいる大臣に、安倍元首相銃撃事件の背景について聞くこと自体、記者としての基本がなっていない。

それでも質問を続け、テロリストの行為を擁護するかのような発言を重ねる姿勢には、ジャーナリズムのかけらも感じられなかった。

小野田大臣の対応は正しかった

一方、小野田大臣の対応は実に毅然としたものだった。「テロリストには何も与えない、名前もだ」という言葉は、ニュージーランドのアーダン元首相の発言を引用したものだが、まさに正論である。

2019年にニュージーランドで起きた銃乱射テロ事件の際、アーダン首相は犯人の名前を決して口にしなかった。「この国は犯人に何も与えない」という強い姿勢を示したのだ。

テロリストは注目を集めることで自分の主張を広めようとする。だからこそ、社会全体でテロリストに「舞台」を与えてはいけないのである。

小野田大臣が「私から申し上げることは一つもございません」と答えたのも、適切な判断だ。テロリストについて語ること自体が、犯人に名誉を与えることになりかねない。大臣はそのことをよく理解していたのだろう。

そして、「気持ちの整理がついたか」という質問に対する「一生、つきません。以上です」という答え。この短い言葉の中に、安倍元首相を失った悲しみと、テロを許さないという強い意志が込められていた。わたしは、この言葉に心を打たれた。

令和4年7月8日、日本は民主主義への暴力的な挑戦を受けたのだ。選挙応援中の元首相が、白昼堂々と銃撃された。この事件の重大性を、わたしたちは決して忘れてはいけない。

今回の記者会見で明らかになったのは、一部のマスコミの異常な姿勢である。テロリストを「さん付け」で呼び、犯行を正当化するかのような質問をする。こうした報道姿勢こそが、社会の分断を深め、新たな暴力を生み出す土壌になるのではないか。わたしは、そう危惧している。

小野田大臣が示した「テロリストには何も与えない」という姿勢を、わたしたちも共有すべきだ。

テロリズムに屈しない毅然とした態度。

それこそが民主主義を守る第一歩なのだから。

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