
芸能人が政治的発言をしたとたんに
「芸能人だって政治を語る権利がある」と擁護の声が上がる。
それは当然のことだ。誰だって自由に意見を表明できる。それが民主主義の基本である。
しかし、問題はそこではない。発言の「自由」と発言の「質」は、まったく別の話なのだ。
「基本的人権を失わないために」投票?
俳優の野間口徹が、衆院選投票日前日の2月7日にXへ投稿した内容が物議を醸している。
《明日、投票しに行きます。基本的人権を失わないために》
この一文を読んで、思わず首をかしげてしまった。
自民党が勝つと基本的人権が失われる? いったい何を根拠にそんなことを言っているのだろうか。
日本国憲法第11条には「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」と明記されている。この条文を変えようという議論すら、現実には存在しない。
にもかかわらず、まるで選挙結果次第で人権が奪われるかのような投稿。これは明らかに事実に基づかない、根拠のない主張である。
案の定、批判が殺到した。
野間口は翌日、《誤った情報を流してしまいました。申し訳ありません》と謝罪し、問題の投稿を削除している。
本人が「誤った情報」と認めているのだから、やはりあの投稿は間違いだったのだ。
批判されるのは「芸能人だから」ではない
こうした騒動が起きるたびに、「芸能人が政治的発言をするとすぐ叩かれる」「日本は芸能人の政治発言に不寛容だ」という意見が出てくる。
でも、本当にそうだろうか。
わたしはそうは思わない。
批判されているのは、芸能人という立場ではなく、発言の中身そのものだ。
事実確認もせずに、センセーショナルな言葉を並べる。「基本的人権が失われる」なんて、どれだけ大げさな物言いだろう。
政治に詳しくない人がこの投稿を見たら、本当に人権が危ないと信じてしまうかもしれない。影響力のある立場でデマを流すことの危うさを、本人はどこまで自覚していたのだろうか。
野間口はまた、2月1日には《逃げてばっかりだ。すぐ忘れると思われてる。許せないよね》とも投稿していた。
これは高市首相がNHKの党首討論を欠席したことへの批判と受け取られている。
たしかに批判する自由はある。
しかし、高市首相は遊説中に支持者から腕を引っ張られて負傷し、治療のために欠席したと説明されている。それを「逃げてばっかり」と決めつけるのは、あまりにも一方的ではないか。
怪我の事情も調べずに「逃げた」と断じる。これもまた、勉強不足としか言いようがない。
発言するなら責任を持って
繰り返すが、芸能人が政治について発言すること自体は何も悪くない。
むしろ、影響力のある人が社会問題に関心を示すのは、健全なことだとさえ思う。
ただし、発言するならば、それ相応の準備が必要だ。
ネットで見かけた情報を鵜呑みにして拡散する。それは一般人でも批判される行為である。ましてや数十万人のフォロワーを抱える著名人なら、なおさら慎重であるべきだろう。
「基本的人権が奪われる」という主張の根拠は何だったのか。どの政党の、どの政策が、具体的にどう人権を侵害するのか。それを説明できないまま発信してしまったから、批判を浴びたのである。
芸能人の政治発言がタブー視されているのではない。不勉強な発言が批判されているだけなのだ。
この違いを理解しないまま「芸能人への言論弾圧だ」と騒ぐのは、問題のすり替えでしかない。
野間口のファンからは「今後の芸能活動が心配」という声も上がっているという。
それは本人の責任だ。軽率な発言をすれば、信頼を失うのは当然のこと。
もし今後も政治について語りたいのであれば、まずはしっかり勉強してほしい。事実を確認し、論理的に考え、責任を持って発信する。
それができて初めて、建設的な議論が生まれるのだから。



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