
10万人の声が1億2000万人の命を危険に晒している。
日本原水爆被害者団体協議会、通称・被団協。この組織のダブルスタンダードぶりには、もはや開いた口が塞がらない。
首相官邸筋が核兵器保有の必要性に言及すれば即座に抗議声明を出す。
だが、韓国アイドルグループの中国人メンバーが原爆のきのこ雲を模したランプを「可愛い」と投稿した問題については「対応することはない」。
この二重基準は一体何なのだろうか。
中国・北朝鮮の核実験には沈黙する被団協
被団協は2024年にノーベル平和賞を受賞した。その受賞スピーチで「核兵器は一発たりとも持ってはいけない」と訴えた。美しい理念だ。
しかし、その理念はどうやら日本政府にだけ向けられているらしい。
中国は1964年以降、公式発表だけで45回の核実験を実施している。新疆ウイグル自治区で行われた核実験により、周辺住民が被曝したとの報告もある。北朝鮮は2006年以降、少なくとも6回の核実験を強行した。日本のすぐ隣で、核兵器開発が着々と進められてきた。
では、被団協はこれらの核実験に対してどれほど強く抗議してきたのか。答えは極めて限定的、あるいは沈黙だ。
2017年に北朝鮮が6回目の核実験を行った際、被団協は抗議文を送ったとされる。
だが、その声の大きさ、メディアへの露出度は日本政府への批判とは比較にならない。
中国の核実験に至っては、ほとんど問題視されてこなかった。これは明らかに政治的な選択だ。
核兵器廃絶を真に願うなら、どの国の核にも等しく反対すべきではないのか。
原爆を「可愛い」と言った行為には「対応しない」
今回のaespa問題における被団協の対応は、そのダブルスタンダードを白日の下に晒した。
中国人メンバーのニンニンは2022年、きのこ雲を模したランプの写真をSNSに投稿し「可愛いライト買ったよ、どう?」とコメントした。
広島で14万人、長崎で7万人が命を奪われた原爆のきのこ雲を、「可愛い」と表現したのだ。
この投稿に対し、被団協の浜住治郎事務局長は「対応することはない」と明言した。理由は投稿が削除されたこと、NHKが本人に悪意がなかったと確認したこと。
しかし、首相官邸筋のオフレコ発言には即座に抗議声明を出しながら、公開されたSNS投稿には「対応しない」。この落差をどう説明するのか。
悪意の有無で言えば、安全保障政策の議論として核保有に言及することと、原爆を「可愛い」と表現することのどちらがより悪質だろうか。わたしには後者のほうが遥かに被爆者を侮辱する行為に思える。
被団協は「核兵器の保有と使用を前提とする核抑止論」を批判する。
だが、日本を取り巻く安全保障環境を無視して理想論だけを唱えても、国民の命は守れない。
中国、北朝鮮、ロシア。日本の周囲はすべて核保有国だ。その現実から目を背けることはできない。
NHKは公共放送としての責任を放棄した
さらに問題なのがNHKの対応である。
NHKは12月17日の定例会見で「出場予定に変更はない」と強硬姿勢を貫いた。しかし、その会見の内容はホームページの要旨からは削除されている。
都合の悪い質疑応答を隠蔽する姿勢が、公共放送として許されるのだろうか。
オンライン署名は14万筆を超えた。番組公式Xへの批判も殺到している。それでもNHKは「世論の支持」があると主張する。
いったいどこに世論の支持があるというのか。
2025年は戦後80年の節目だ。NHKにとっても放送開始100周年という重要な年である。司会は広島出身の有吉弘行さん、綾瀬はるかさん、そして戦争を描いた朝ドラのヒロイン・今田美桜さんが務める。
この象徴的な回で、原爆を「可愛い」と言ったグループを出場させる。その矛盾にNHKは気づいていないのだろうか。
さらに、aespaは10月に韓国で開催された乳がん啓発イベントでも物議を醸している。
胸元を大きく露出したドレスで登場し、「チャリティを装ったセレブパーティー」として批判された。主催者は謝罪に追い込まれた。
このような配慮に欠ける行動を繰り返すグループを、なぜ紅白に出場させるのか。
ファンすら辞退を望む異常事態
興味深いのは、aespaのファンからも紅白辞退を望む声が上がっていることだ。
「もはや本人達も可哀想。辞退させてあげる方が本人達のためでもある」「こんだけ批判きてて出すメリットある?全員にとって」。ファンクラブに入り、ライブに通うほどのファンですら、きょうの状況を憂慮している。
これはもはや「アンチの批判」では済まされない。本来、グループを応援すべきファンが辞退を望むほどの事態なのだ。それでもNHKは出場を強行する。誰のための判断なのだろうか。
0.081%の声が1億2000万人を危険に晒す
2025年3月末時点で、被爆者健康手帳所持者は約10万人だ。平均年齢は86歳を超えている。日本の人口約1億2380万人のわずか0.081%である。
もちろん、被爆者の方々が受けた苦しみは想像を絶する。その声に耳を傾けることは大切だ。
しかし、0.081%の声で日本の安全保障政策の議論まで封じることが許されるのか。
核保有の議論すら「タブー」とされる状況は、残りの99.919%の国民、特にきょうを生きる子どもたちや若者の安全を脅かす。
北朝鮮は核ミサイルの発射実験を繰り返している。中国は軍事力を増強し、台湾有事のリスクは高まっている。ロシアはウクライナ侵攻で核の使用をちらつかせた。
この厳しい現実のなかで、「核兵器は一発たりとも持ってはいけない」という理想だけで国民の命を守れるのだろうか。
わたしは核兵器の使用には断固反対だ。だが、抑止力としての核保有の議論まで封じるべきではないと考える。
議論すらタブー視する風潮こそが、日本の安全保障を脆弱にしている。
選択的な正義は正義ではない
被団協のダブルスタンダードは、彼らの主張が純粋な平和への願いではなく、政治的なポジショントークであることを露呈した。
日本政府の発言には即座に抗議する。だが、中国・北朝鮮の核実験には沈黙し、原爆を「可愛い」と言った行為には「対応しない」。この選択的な正義は、もはや正義とは呼べない。
NHKもまた、公共放送としての使命を放棄した。受信料で成り立つ組織が、国民の多くが反対する出場を強行し、都合の悪い会見内容を隠蔽する。これでは「みなさまのNHK」ではなく「誰かのためのNHK」だ。
2025年は戦後80年、そしてNHK放送開始100周年という節目の年。
この重要な年に、日本の公共放送は歴史的な過ちを犯そうとしている。
必要なのは冷静な議論と一貫した姿勢
わたしたちに必要なのは、感情的な反発ではなく冷静な議論だ。そして何より、一貫した姿勢である。
核兵器に反対するなら、すべての国の核に等しく反対すべきだ。被爆の記憶を守るなら、その記憶を軽んじるあらゆる行為に抗議すべきだ。
それができないなら、それは信念ではなく政治的な選択に過ぎない。
きょうを生きるわたしたちは、過去の悲劇から学びながらも、現在の脅威に向き合わなければならない。
被爆者の方々の体験は決して忘れてはならない。だが、その記憶を政治的な道具として使うことも許されない。
14万筆の署名は、多くの国民がこの問題を看過できないと感じている証だ。ファンですら辞退を望むほどの異常事態を、NHKは直視すべきである。
公共放送として、そして平和を願う組織として、いま一度その使命を問い直してほしい。
選択的な正義ではなく、真の一貫性を持った姿勢を示してほしい。
それができないなら、彼らに国民の支持を求める資格はない。

