きょうわたしが心から感じたこと、それは日本の魂が試されているような出来事でした。毎年この時期、金太郎飴のように同じ報道が繰り返され、わたしはもう辟易している。
終戦の日の15日、自民党の保守団結の会の皆さんが靖国神社に参拝されました。顧問の高市早苗前経済安全保障担当相もそのお一人で、国のために殉じられた方々へ哀悼の誠を捧げられたとのことです。
日本国民として、祖国のために命を捧げた先人たちに感謝と敬意を表すのは、ごく自然な感情ではないでしょうか。わたしは、この尊い行為がなぜこれほど批判の対象となるのか、理解に苦しむばかりです。
それなのに、東京新聞の記者は「今日韓国メディアもいるが、対韓対中関係を刺激するのでは」と質問したではありませんか。この質問を聞いた時、わたしは思わず「また始まった」とため息が出た。
毎年同じ質問を繰り返すオールドメディアの姿勢には、本当にうんざりです。彼らは一体、誰のために報道しているのだろうかと、わたしはいつも疑問に感じている。
彼らがそんなに中韓関係ばかりを重視するのなら、ひょっとして何か特別な思惑でもあるのかしらと思ってしまうのは、わたしだけではないはず。報道しない自由を発動し、伝えるべきことを伝えない彼らの偏向ぶりには、危機感しかありません。
高市氏は記者団に対し、「本来、それぞれの国のために殉じられた方の慰霊は、それぞれの国の国民が自らの心に従って行うものだ」と毅然と答えていました。まさにその通りで、わたしはこの言葉に深く共感した。
他国の追悼を尊重し合える世界へ
慰霊は外交の道具にされるべきではないと、わたしは強く感じています。どこの国にも、祖国のために命を落とした尊い方々がいるはずですから。
高市氏はまた、海外でも戦没者慰霊を重ねていると話していました。そして、「お互い、祖国のために命をささげられた方に、敬意をもって哀悼の誠をささげ合える、そのような世界になればいいなと思っている」と語られた。
この言葉に、わたしは心を打たれました。それは理想的で、そうあるべき世界観ではないでしょうか。多様な価値観が尊重される今日だからこそ、他国の文化、歴史、追悼の心にも寄り添うべきです。
しかし、残念ながら日本のメディアの一部は、高市氏の真っ直ぐなメッセージを、またしても「刺激」という言葉で矮小化しようとしているように見えました。わたしは、この報道姿勢にはがっかりしている。
日本の未来を真剣に考えるなら、感情論や他国の顔色を窺う報道ではなく、もっと本質的な議論を深めるべきです。経済安全保障や移民政策、我が国の独立を守るための安全保障について、なぜもっと踏み込んだ報道をしないのでしょうか。
国民は、日々の暮らしと密接につながる政治や時事の話題に関心を持っています。だからこそ、表面的な対立を煽る報道ではなく、深い洞察と真実に基づいた情報提供をメディアには期待している。
東京新聞
「今日韓国メディアもいるが、対韓対中関係を刺激するのでは」高市さん
「国のために殉じられた方のご慰霊はそれぞれの国民が自らの心に従って行うもの。外交関係になってはならない。
お互いそれぞれの祖国のために命を捧げられた方に敬意を持って哀悼の誠を捧げあえる世界になればいい」 pic.twitter.com/ripDWVW4g9— ドンマイおじさん (@don_mai_don_mai) August 16, 2025
日本の首相のあるべき姿とは
今回、石破茂首相は靖国神社に参拝せず、玉串料の奉納にとどめられたそうです。保守団結の会代表世話人の高鳥修一前衆院議員も「大変残念。戦没者は『靖国で会おう』と誓って戦死されている」と首相の靖国参拝の環境整備を訴えていました。
わたしも、首相にはぜひ参拝してほしかった、正直な気持ちです。国のトップが国民の命を守った英霊に敬意を表すのは、当たり前のことだとわたしは考えます。
首相が率先して英霊に感謝を捧げる姿勢を見せることで、国民の愛国心を育むことにも繋がるのではないでしょうか。国民感情に寄り添うリーダーシップを、わたしはいつも期待しています。
他国の批判を恐れて、自国の文化や伝統、何よりも尊い歴史を蔑ろにしてはならない、わたしはそう強く訴えたいのです。メディアの煽りに惑わされず、日本が日本らしく誇りを持って生きていける国であってほしいと心から願うばかりです。