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立花孝志容疑者逮捕 亡くなった県議への虚偽発言 NHK党立花孝志党首に問う政治家の責任

立花孝志容疑者逮捕

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故人を中傷することまで、政治活動の自由として許されるのだろうか。
そんな根本的な問いを突きつけられる事件だ。

NHK党の立花孝志党首が、今年1月に亡くなった兵庫県議会の竹内英明元県議の名誉を毀損した疑いで逮捕された。

昨年12月の泉大津市長選挙の街頭演説や今年1月のSNS投稿で「警察の取り調べを受けている」「明日逮捕される予定だった」などと
根拠のない虚偽の情報を流布したというのである。

しかも竹内氏が亡くなった後も、その発言を続けていたという。
わたしはこのニュースを見て、背筋が凍る思いがした。

政治家の言葉の重みはどこへ消えた

立花氏といえば、NHKの不正経理を内部告発して注目を集め、受信料問題を訴えて一部の支持を得てきた人物だ。その主張の是非はともかく、彼の手法には以前から疑問符がつきまとってきた。今回の逮捕容疑を見ると、昨年11月の兵庫県知事選で斎藤元彦氏の応援を公言して立候補し、斎藤氏の疑惑を調査した百条委員会の委員だった竹内氏らを批判していたという経緯がある。

つまり選挙戦略の一環として、百条委員会で職務を果たしていた県議を標的にしたのだろう。しかし「警察の取り調べを受けている」「逮捕される予定だった」という発言は、あまりにも悪質ではないか。これらが事実無根だったとすれば、一人の政治家の社会的評価を地に落とす行為である。

さらに許せないのは、竹内氏が亡くなった後も虚偽の情報を流し続けたという点だ。死者は反論できない。名誉を回復する術もない。それを承知の上での行為だとすれば、卑劣としか言いようがない。

SNSと街頭演説で拡散される虚偽情報の恐ろしさ

今回の事件で注目すべきは、立花氏がSNSと街頭演説という2つのチャンネルを使って情報を拡散した点である。SNSでの投稿は不特定多数に瞬時に広がり、削除しても完全には消えない。一方、街頭演説は公の場での発言として記録に残る。つまり意図的に、できるだけ多くの人に虚偽情報を届けようとしたわけだ。

わたしたち一般市民は、政治家の発言をある程度信頼して受け止めてしまう傾向がある。特に具体的な内容―「警察の取り調べ」「逮捕予定」―を伴う発言は、事実として受け取られやすい。立花氏はその心理を巧みに利用したのではないだろうか。

竹内氏の妻が今年6月に刑事告訴に踏み切ったのは、当然の行動だろう。大切な家族の名誉が傷つけられ、しかもそれが虚偽の情報によるものだったとすれば、誰だって黙っていられない。遺族の心情を思うと、胸が痛む。

政治活動の自由と責任のバランス

立花氏側は「真実相当性を説明して不起訴になるように努力する」とコメントしているが、果たして「真実相当性」があったのだろうか。根拠なく他人を犯罪者扱いすることが、政治活動として正当化されるはずがない。

もちろん政治家には表現の自由がある。権力を監視し、批判する役割も重要だ。しかし自由には必ず責任が伴う。特に公人である政治家の発言は影響力が大きいからこそ、慎重であるべきだろう。

立花氏は過去にも不正競争防止法違反で有罪判決を受けている。今回の逮捕も含めて、彼の政治手法には一貫して「目的のためには手段を選ばない」という姿勢が透けて見える。そんな人物が国政選挙で当選し、各地の首長選に出馬し続けている現実に、わたしたちはもっと危機感を持つべきではないか。

政治不信が叫ばれて久しいが、このような事件が起きるたびに、その溝は深まっていく。真摯に政治に向き合っている政治家たちまで、同じ目で見られてしまう。それが何より残念でならない。

竹内元県議のご冥福を心よりお祈りするとともに、この事件が政治家の言動について考え直すきっかけになればと思う。虚偽の情報で人を傷つけることは、決して許されないのだから。

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